整頓(前

 

 

読んでいる本についている栞に言葉は自由だっていうフレーズとともに広辞苑の宣伝がある。「言葉が自由だ」には異論はあるけど、広辞苑は欲しい。いや、別に言葉が自由だっていう論拠も思い浮かぶけど。言葉にできる言葉が増えるというのは、自分の可動範囲が増えるという意味で自由。識字も書くことも社会的スキルとして最低限だろうし。

 

僕が言う不自由とは別の視点。外に向ける語彙が増えることと内側が不変であることはあんまり関係ない。僕は中間項における語彙は未だにほとんどないように思う。講義とか公演みたいなところで僕の語彙がどうなるのかは気になる。割といける気がしなくもない。

 

さておき。

 

今日の二度寝以降の夢はなかなか面白かった。想い人を飲みに誘ってみて綺麗にスルーしてもらったのだけど、夢になったってことはスルーされる前に現実的に起こらないと僕の脳は認識したらしい。夢なのに実際に飲む所まではいかない時間調整みたいなところで終わるというヘタレである。夢の中に含まれると思っていたメール送信は現実だった。中身を読み返すと良くもこれだけ淡々と好意を投げているものだととても恥ずかしい。義務的なお断りはお断りというのも確かにそうだと思ったし本心ばかり述べている。たぶんこの人と直に逢えてもこんな語彙は遣えない。それくらいにあけっぴろげ。

 

言葉の自由。

 

ところで、もう少し自分が想い通りに動かないかという次第。結果とかじゃなくて、行為論。無駄になるとか無為になるとかはほんとどうでも良い。行為が積み重ねれば勝手に結果になるから、この文脈で言う行為はまだあまり現実ではない。

 

そういえば、ハイデガーさんの世界の話で、環境という言葉が出てきたなぁ。環には「まわり」っていう意味があるらしい。そうして、ドイツ語にも相応する言葉があるということ。今のところ、ハイデガーさんがいう世界は、当人が観測する世界くらいにしか思えないのだけど。

 

思い通りに自分を動かすために必要なことは、義務ではなく、フットワークの軽さだと思われる。想い人の僕に対する発話は仰々しく義務的だから、なんだか申し訳ねぇって思う。

 

まぁいいや。今日は前後編にしよう。

 

後編へ。