お幸せに

 

 

今日のメインは鯖缶とエリンギと玉ねぎの炒め煮というか良く分からない。料理。もっと時短にしないと思ってフライパンで水気飛ばしながら他の作業しつつ、醤油、顆粒だし、ポッカレモン数滴加えたら、鯖の水煮缶の決まった味がだいたい死んでいる。エリンギの存在感とポッカレモンの力か。たまたまエリンギが安かったのと、思い付きのポッカレモン。

 

ついに僕が住んでいる市でも感染者が出たらしい。図書館が閉まっていて、その横のお弁当食べるスペースも連動していたから初めて知った。情報はインターネット開いた時に目に入る表題しか見てない。センバツも中止になったらしいね。どこもかしこも自粛傾向。したいようにすれば良いと思うけど、敏感な人の反応を想えば、批判の対象にはなりたくなかろうなとも思う。特に公共機関が関わっているもの。でも電車止めますということにはならないという基準のブレ。敏感な人っていうのは良い意味ではなく、クレーマーと同義の直情に従って目に見える穴にほいほい怒りを向ける人。Twitterで見かけたけど、ドラックストアに対する攻撃性を発露する人種がほんとどうしようもなかった。

 

人間ホイホイかな。

 

ニュースが取り上げる死者だけが実際死んだ人な訳でもなく、例えばインフルエンザで毎年死亡する人数と今回の件での死亡率みたいなものを比較してくれないかな。同じくらいだったら、それはそれで予防接種しているのになんでやみたいな文句が付きそうだけど。僕みたいな情報無人島みたいな人物にも届くということは、過剰に気にし過ぎなのではと思う。この過剰さのために感染したら面倒だと思って避けたいと思うのも分かるけど。

 

潜伏期間があるからっていうのも、どんなウイルス性の疾患もそうだろうし、ことさらこれだけっていうのも良く分からないところではある。単語を書かないのは検索避け。不安は想像力の誤用とはよく言ったものだ。メディアは人の不安を煽るのがお好き。

 

別に不安的な想像が悪いとは思わない。想像することでリスクを避けることができるのは人間の特性だと思う。問題はその不安が何処由来なのか。外界由来だったらなんでそこだけ不安になるのかということにちゃんと理由があるのかとか。理由がないのが不安だろうと反論が来そうだけど、むしろ理由がある方がちゃんと不安になるではないかという返しをしたい。解決策がないものなんて世の中には溢れすぎているけど、自分に関係していても見えない限り不安にはなれないはず。例えばオゾン層破壊されていつ皮膚がんになるか分からないって不安がっている人が居るのか。まぁ居るとは思うけど、ブームにはならない。

 

内側由来の不安も想像力の話だけど、自分の存在が外界にもたらす影響値のこと。これはあんまり一般的ではなさそうだから良いか。ただの気にし過ぎだけど、これによってもたらされるのはストレスではないから問題ない。

 

ストレスって外から来るものなのだろうけど、それを持続するのは自分の言葉という気がしないでもない。自分とはこうであらねばならないとか、攻撃対象はそうあらねばならないとか。

 

だから、僕と接することが義務的だと評されると離脱しかないなって思う。こういうのって自縄自縛で、あんまり自他共に使わない方が良いから、それを使わせてしまう自分の存在に不安を感じる。自分の存在が相手にとって縛りじゃないかと。

 

縛りと言えばルール。職場で研修を受けている男性が頑なにスーツを着ないことに対してルールはルールじゃないかって上司が言っていた。素朴なルールも公的なルールも一緒くたにしているから、ルールが自縄自縛になるから整理しよう。

 

まず、企業のルール。そんなの嫌だったら別の企業に移動すれば良いだけだから、企業がルールを作ってそこに従わない人を排除するっていうのは問題ない。こういう場でルール違反ができることは自我とか自由とかとか全く関係ないし。

 

あと、公的なルール。罰則がないルールは平気で無視できる。例えば、徒歩での信号とか。でもこれって、何かあったときに自己責任が重くなるっているだけだから、従っても従わなくてもいい。

 

あとは私的ルールか。私的ルールは自分が設定するものでどんなルールより日常的に影響がある。僕はルールを決めないことで自分でありうることができているけど、外から見たら雁字搦めに見えるかもしれない。緩めてもやんわり自己承認できるなら良かったけどそういう人格ではなかった。

 

あと、私的ルールは他人には適用できないってことが分かっていない人が多いような気もする。珍しい腹が立ったから覚えているのだけど、昼ご飯は同じ場で食べるしかない職場で弁当を作っていたときに、パートナーは細かくいちゃもん付けられそうで大変だって言ってきた人。なんで僕が構築してきたルールを新参であるパートナーに押し付けようとすると思うのかって、当人が私的ルールはパートナーと共有すべきだって思っているから。だから婚姻生活失敗したのだとまでは言わなかったけど、今思い出しても腹立った自分を思い出せる。

 

僕がどう自分に負荷をかけているかと他人の生き方は全く関係ないし、同じようにしてほしいとも思わん。そもそも時間軸からして微妙に誤差があるし。

 

 

ここで終わるのは嫌だけど、寝なくては。

 

僕の存在が誰にとってもストレスでありませんように。

 

おしまい。