思考の意識化

 15分早く起きたから最後に残っていたグラノーラ5口分くらいとコーヒーを飲んで熱を補給してから家を出た。ゆったり徒歩出勤。歩道橋を渡るときに銀杏の葉っぱがてんこ盛りについたままの木があってなかなか壮観だった。元気だけど、葉っぱって落とさないといけないものじゃなかったっけと、植物学の取集欲求。

早く起きられたのは朝の混雑の中ICカードをチャージするのが嫌だからという説もある。だから今日もチャージはしなかった。帰りには違う味のグラノーラと牛乳とインスタントコーヒーを購入。そろそろ満月だろうに、月は雲に隠れてもったいなかった。いつも月を探している。

 夜ご飯のメインは、大根と人参と豚肉の炒め煮。大根が多めに残っていたからなかなか大量にできた。豚肉は全部取り分けて弁当と夜ご飯にして、あまった大根と人参は明後日の弁当の副菜になる予定。あとは昨日の大根とセロリの浅漬けの残りと、納豆と、目玉焼き半分とレタスとミニトマトのサラダと、ご飯お茶碗7分目。

 さて、お弁当の時に久々に森博嗣さんのブログを読んでいたら、人は日記を書くときでもなんでも良いけど、行動しか思い返さない。何を考えたか振り返ることができる人はあまりいないのでは、みたいなことが書かれていた。自分が何を考えたかを意識するようになると外からの物事がなくても楽しくなるとか。確かに。行動だけ描写していたら毎日書くことはできないし、再現率高くしてもそれは記録になる訳で。記録として残すならイベント事がある毎で充分事足りる。

 僕の場合は今日の出勤中に思ったのだけど、論文試験のときだいたいこの日記くらいのペースで書かなきゃならないなと計算して、無意識についでに修練している部分もあるのだろうなと。1時間で2000文字くらい書けるとちょうどよい量。いずれは倍くらいまでいきたいところ。実際は手書きだし専門知知識のブロックの組み合わせみたいなところがあって全然違うといえば違う。接続詞もしっかり使わなきゃならんし。ただ、時間を区切って書くというところでは通じるところがあるなと。時間があればいっぱい書けるということにもならないし。接続詞が大量に使われている文章って論理が追いやすいけど、なかなか読みにくくはある。専門書とか評論の歯ごたえ。ここではあまり使っていない気がする。意識はしていないけど、文と文はながれで繋げてください、みたいな。あと語尾に同じ言葉が続くとなんとなく一本調子になるとか。これもあまり気にしていない。

 ともあれ。思考の再現と言っても、なかなか難しいところ。今の僕の思考の半分は法学関係だから、あまり抜き出しても公私混同(?)だし、思考って基本的に取り留めないから、意識していても大部分が流れる。メモ帳携帯も考えたことあるけど、定着しなかった。書き留めるよりは意識に留める方がまだなんとかなりそう。人の思考の総量って個人差があるとしてもあまり変わりないとも思う。だから人の頭の中身が気になるのだけど。

 今日は何を考えたかな、と意識しだすと出てこないので、本の話でも。ウェルベックさんの「セロトニン」はとても暗い。日本人の恋人が出てくるのだけど、悪女というかなかなかの酷い描写のされかた。多人数とか犬とうんちゃらのビデオを見つけてしまうのは心が冷めていてもきつそうな。でもこの素朴な貞操観も道徳という後付け観はあるなぁと思ったのだっけ。ただ、これを調整して変えようと思わないけど。だって、アレって究極のえこひいきみたいなものだし、えこひいきがめんどうくささとか生生しさを越えることができる訳で。あれ、あんまり素朴な観念ではないような。ともかく、暗い本もそれはそれで美味しいのである。

 あと、ベルグソンさんの素朴な切り口。強さと大きさを比べられるのは何故かってところだった。この辺りは納得できたからなんとなくまだ覚えている。ある感情と別の感情は比べることができないはずなのに、なぜか比べてどちらがより強いかを把握できているように見えるというところ。要は土俵が違うものを同じ枠に押し込められるのはなぜかということで、確か素朴な空間認識が要因だったような。

 ヘーゲルさんは今のところ何を言っているかさっぱり分からない。3週くらいしたら分かってくるのかも不明。分析哲学はなんとなく飽きてきた。1周で満足になりそう。共通感覚は、分裂症の人の文章が出てきてなかなか興味深い。みんなが当たり前にできているように見えることの中身が分からないから自分はうまくできない、といったような。自分で自分を頼りにできないのは不安だって。この当たり前の共通観念のようなものは常識の1つの面ではあるだろうとのこと。個人的にはこの共通観念がなんとなく嫌だったから、当たり前とすら思わない人より当たり前について思考している人の方が好ましい。

 やれやれ。終盤になってくるとエンジンがかかってくるのだけど、かかってくると時間切れになる。それでは今日はここまで。おやすみなさい。

 

 

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