めんどうくささ

 

 

漫画アプリでモブサイコ100を一気に読み返したいが為にポイントがたまるアプリをインストールして条件満たすには絶妙に課金が居るのを避けてルビーの為にアプリをインストールしてちまちまやっていたけど、馬鹿らしくなって両方アンインストールした。人にとって一番価値があるものは時間であって、時間を潰すようなことはしてはいけないなと。お金があっても時間がなければ使うこともできない。別に無駄なことをしたとも思わないけど。思ったところで返ってこないし、であるならば、今から先にどう時間を使うかのが遥かに大事。

 

まぁゲームも漫画も好きではある。アプリゲームで好きだったのは、リトルノアっていうファンタジー系のやつ。漫画は書き出すと大変なことになる。情報には質量がないから脳内にいくらでも格納できる。

 

「美とは利害関係なく意に合うこと」とカントさん。この本のタイトルは知らん。社会美学の本に書かれていた。

 

ともあれ。

 

 

本題か。

 

 

失恋宣言について。

 

勝手に好きだと宣言して勝手に失恋宣言して、想い人にとってははた迷惑な話だと想像する。けども呼称は特に変えるつもりはない。たぶんこの呼称はこの人だけに当てられた言葉だから。呼称には同じく注意深いはずなのでこの感覚は分かるはず。なんで生活を共にしているのが同居人なのかという疑問もあるけど、同居人という呼称は固有なのだろうと思う。恋人とも彼氏とも違う。勝てる訳がない。

 

ということとは別に、好意は変動しない。ただ、現実的な好意と観念的な好意が両立しないから、自分がどちらを選ぶかを決めただけ。現実的な好意は関係があることを前提としていて、観念的な好意は関係がないことを前提としている。

 

 

という感じで、現実的好意関係でさようならって送ったら、やたらと生生しい夢を見てしまった。布団にもぐり込んんでくれて接吻して寝るルートと穏やかに会食するルートとの2通り。自分の感情には申し訳ないけど、他人事的に見て、ほんとに現実的な好意があったのだのだなぁと変な感じ。

 

感情と身体感覚。だいたいの感情って、もっと奥の身体の反応を流用している。誰かと感情が共有できるというのもこういうこと。でも、失恋の喪失感ってどこから流用されているかがわからなくて面白い。心臓辺りに違和感があるけど、痛いとか無くなったなったみたいなことでもなくて、単なる悲しいとも違う。

 

この感覚を通算物理接触時間15分くらいの人に想うのだから僕はバグっている。精神接触は物理時間に換算できないから分からないけど。ただただ温もりがあった。

 

普通に考えれば告白もスルーされているし、僕のことなんて単なる他人事的な他人でしかないと捉えるべきで、これが正しいのに、素朴な僕はそれを正しいとは捉えなかった。普通ならこんなこと言えない。

 

本当に誰も良かったらなら僕の好意は個別化されてなかった。それくらいのことは認識できてます。あんまり自信はないけれど。

 

ともあれ、失恋宣言の後腐れだけではおもしろくないだろうから、もう少し。

 

人が認識できる世界なんて主観的な範囲でしかない。

 

もう無理っぽい。

 

では、皆さん元気でありますように。