ちかく

 

 

お刺身、パプリカとミニトマトのマリネ、人参の味噌和え、サニーレタスと木綿豆腐のサラダ。買い出しに行った時にいい感じで雨に降られた。ちょうど良いシャワー。

 

さて、昨日の日記に対する返答があった。あっちでは刺激が強いかと思って編集で消したのだけど、消す前に読まれてしまった。刺激というのは、下手したら、僕からジャッジされてると思われるだろうなということ。要は相対的評価。確かに結果的にはそうなのかもしれないけど、ニュアンスが違う。この違いを説明する言語はなかなか難しい。存在は比べられないけど、現実的な選択としては選ばざるをえない。そうして、別に現実として選んではない。これって感覚の話だから知識で分かることでもない。

 

コメントで、不思議な生物、要観察とのこと。やはり春さんは心地よい感じ。要観察って、自分の利害には関わりないのに、存在として認識している、要は頭というか心の中に場所をとっているということでなかなか希少だと思う。自分にとってどうなるかとは別の観点。

 

まぁ、珍獣扱いをした人はどの時系列にもあった。僕が素朴な自分を開示すると、仙人みたいだとか評された。確か同じゼミだった人で、何かの飲み会の時に話していたとき。ゼミプレゼンで1発目ペアになったのだっけ。何も知らない状態での発表はなかなか大変だった。ゼミの教授曰くこのゼミはまぁまぁ良かったという良判定だったけど。ゼミの発表の方向性を僕が決めてしまったらしい。

 

ほんと、今の認識だったらもっと楽しかったのに。という後の祭り。この祭りは後悔とかではない。当時は法律は決め事を覚えるみたいな感覚でしかなかったけど、今は世の中を回すシステムの一部に過ぎないだろうなと思ってる。それを踏まえても面白いけど。歴史の結晶であるところが。

 

歴史なんてどうでも良いと思う人ほど歴史にとらわれている。今だって歴史の一部だし。

 

そういえば、試験の日程が決まったのだけど、なんだかすごく嫌な予感がする。もしかして僕が楽しみにしている日程と被ってないかと。これが本当に被っていたとしたら徴だろうなと思う。どっちを選ぶんだって。自分のキャリアのステップアップのための試験と、自分と特に関係してくれるわけでもない人がご飯を提供してくれる場と。

 

公的な僕は前者を選ぶし、素朴な僕は後者を選ぶ。さて、どうする? 

 

そもそも、選んだことによって自分が決まるなんておかしな話。本当に自分が在るのであれば、何を選んでも変わらないはず。感情しか変わらないという説もあるけど、感情を抱く存在自体を自分と認識しているわけで。

 

どうでも良い僕の現状だけど、やっと西洋史概説の1周目が終わった。プログラミング言語は3周目に入ってなんとなくわかって来たところ。日本史も3週目だっけ。あと哲学系も1周終わった。細かく書いても伝わらないからやめておく。

 

ここで、考えるのは、人って繰り返さないと物事を認識できなくて、自分については繰り返しているから自分として把握できるのだろうなと。

 

でも、把握と認識には壁があって、認識するということはすなわち、場があれば語れるということ。僕はここを場にしているけど、人が場になるとは思っていない。人は存在だから、自分がうれしい為にあるだけではない。

 

あと思うのが、僕は、人、特に女性が外面では良くふるまっているのに、内心ではそんなこと思わずに毒を吐く姿を見て育ってきたから、まぁまぁ人が怖い。我が家の女性陣が僕の女性像の前提になっている。

 

人は外面では自分の利益のために聖人のように振る舞うけど、内心では相手のことを否定する。ないし見下す。

 

うちの家族はこういう偽善RPGみたいにしか他人を認識できていないから嫌なの。こういうものは普通に読める。罪悪感を抱かせてコントロールしようとするスタンス。

 

罪悪感って最強の武器だから、使い勝手は良いと思う。僕は使ってみて気持ち悪くなったけど。こういう手法を使っている自分の顔は鏡で見れなかった。どす黒さよ。

 

そうして、恋愛感情を抜いても、想い人は不思議生物だと思っている。おそらく自分を好いた人を都合よく使ってきた人で、そういう風に使っていいですよって言っているのに全然使ってくれない。倫理的には褒めれたものではないけど、個人的はどうでも良いこと。

 

僕は個人的にこの人を抱きしめたときに自分がどう感じるのだろうということが気にななっている。

 

僕は僕の見立てでしか生きてないから、一般論を指標としている人とは関係できないし、関係がなくてもどうでも良い。

 

想い人にまだうれしいですかって聞いたとき、誰でもうれしいって言われたことがきになっている。この人あんまり個人的な疎通で開示できないのだろうと思う素朴と、公的には想い人にとって僕はなんでもないとか。

 

相手にどう認識されているかは僕の言葉の下限を決めることではあるけど、素朴な興味というか好意には影響されない。

 

では、おやすみ。

 

みんなあんまり無理しませんように。